outcry-ongakuの語り場

電音部に関する記事をちょくちょく書いてます!(不定期更新)

【電音部考察】時系列の整理とそれに関わるあれこれについて

はじめに

 電音部に関する考察をする人が日に日に増えており、自分の記事も他の方に紹介されたりと界隈がにぎわいつつある電音部考察部界隈。考察者の端くれとして今後も記事を書いていければいいなという事で、今回はやろうやろうと思って出来てなかった時系列の整理とそれに関わる幾つかの事象の現時点での考察をまとめていこうかなと思います。(本記事では電音部ノベル、電音部 BEST ALBAM同梱のドラマCDに関するネタバレを含みます。)

電音部世界の時系列とそれにまつわるあれこれ

前提条件:ノベルと四コマの関係性

 現在、期間限定無料公開中の「電音部ノベル」と不定期更新の「電音部四コマ」、そして火曜更新の「ゆるおんぶ」の関係性については電音部ノベル要約解説にて石田氏より「ノベルでそれぞれのエリアの出会いの物語であり、四コマやゆるおんぶの前に当たる」という説明が存在する。ただし、一部その設定では歪みが生じる為、後々修正されるという事になっている。

youtu.be

約20~17年前:零空、風雅、焔羅の時代について

この時代の大まかな説明

 電音部ノベルにおいて、本編の20年前からの数年間に関する記述が度々登場する。その中でも主要な人物が3人存在する。まずはアキバ編で始めて登場する零奈の父で、十数年前に開催された第1回STACKバトル世界大会優勝者でもある日高零空、次に現在はトラックメイカーとして活躍している灰島風雅、そして、20年前から世界上位のランカーとして活躍し、幾度もNo.1に輝いた鳳凰焔羅。この3人が活躍していたのが本編から20年前の時代となる。

 この時代はIris及び、それに関わるシステムの黎明期であったと第1回の世界大会がシステムの発表を兼ねた記念碑的な大会だったという記述から考えられる。また、20年前から3年後の17年前に零奈、海月、銀華、火凛の4人が誕生する事から、20年前時点で零空、風雅、焔羅は成人しており、さらには結婚していた可能性がある。

この時代におけるDJ ~前時代のシステムの駆逐と新システムの普及の始まり~

 20年前より前の時代がどういう時代で、DJはどんな立ち位置だったのかという事を示す明確な描写は存在しない。しかし、確実にIrisのシステム以前にDJが存在していた事は示されている。それが零奈が持ち出す様々な機器やレコードだ。

 この事と和音「CDJ」の発言から、少なくとも20年前においては我々の世界のDJの形に近い形で知れ渡っていたと推測される。そういった「前時代のシステム」をニューコムは約15年ほどかけて駆逐していく事になる。ただし、それが如何に困難な事業だったのかという事は、第1回の世界大会優勝者が零空であった事からも窺い知る事ができる。では、その困難な事業を推し進める為にニューコムはどんな戦術を取ったのだろうか?それこそ、「電音部」の設立と「帝音」の設立であると私は考える。

17以後~2年前:電音部の普及と帝音の名門化

電音部「空白の時代」問題について

 前述の通り、20年前近傍に関する記述は随所に見られるが、それ以降の約15年強の歴史については一切の不明となっている。零奈と海月の家族の話や幾つかの電音部メンバーの生い立ちの話によって部分的な補間がなされているが、「時代全体を象徴する出来事」に関しては記述が全くなされていない。私はこれを「電音部「空白の時代」問題」と呼んでいる。ただし、この時代は電音部普及と帝音の名門化の為にニューコムが頑張っていた時代であると推測される。

Iris普及の為の戦略 ~質の時代から量の時代へ~

 電音部ノベルシブヤ編第2話において「敵」がいない事を退屈に思い、父焔羅に対して世代闘争をしかけようとする火凛の描写と、その前にある「現代最強のDJ」という二つ名から考えるに、空白の時代に活躍していたDJはその前の時代にあたる焔羅達と比べても技術面で劣っていたのではないかと思われる。しかしながら、これこそがニューコムが前時代のDJシステムを廃する為に空白の時代に取った戦術であろう「若年層への普及とDJの大衆化」の産物であると私は見ている。

 零奈が言う様に「DJは誰でも出来る」とはいえ、やはり曲同士を繋ぐ為の技術や、セットリストの構築、その為の楽曲のリサーチ…etcとパフォーマンスとして成立させる為には様々な努力が必要となる。そういった地道な努力の積み重ねを果たした結果に活躍する零空達の時代のDJは必然的に「質」が上がる。しかし、ニューコムは一部の人間のみで成立する事よりも、多くの人間が同じ様に楽しめるようにする「量」に重点を置いていたと考えられる。そういった中で誕生したのが、楽曲を集約する「アカシックレコード」であったり「AIによるおすすめセットリストの作成」であったりする様々なサポート機能に繋がっていると考えられる。

 しかし、そういったシステムを構築した所で「誰でも簡単に出来て、本格的にも楽しめる」事を伝える「広告塔」が存在しなければ意味がない。そういった背景で考案されたのが「電音部」という部活での活動であったと推測される。素人の高校生でも扱えるという手軽さは若年層を中心に広まり、DJの大衆化の一翼を担う。そして、Irisを用いた本格的なDJを行うモデルケースとして「帝音」が創られていったと考えられる。帝音に求められるのは全てのプレイヤーの頂点である「最高」を目指すのではなく、電音部の中での「最強」であれば良い、そういった方向性で進んでいたと考えている。

 この事は「たかだが創立十数年で名門と呼ばれるのか?その前からあったであろう音楽に特化した高校が活躍してないのか?」という問題にも回答となる。「帝音」は元から音楽よりも「電音部」の普及の為に創立されており、電音部という部活の形式を成立させる上でニューコムには「帝音」以外を上に据えるつもりなど毛頭無かったという事になる。

(ちなみに、ニューコムの目的に関しては以前、記事を出しているのでそちらをご覧ください。)

 

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余談:ハラジュクとシブヤの分離について

 ハラジュク編第1話にて、シブヤとハラジュクは元々一つのエリアであったが分離した経緯を持つと説明されている。これは帝音の音楽へのあまりの偏りとレベルの異常な上昇によるものであると和音は語るが、前述の通り、「電音部」普及の為の「最強のモデルケース」を創ることが重要であったニューコムにとってハラジュクはいてもいなくても問題がないエリアであったと考えられる。(もちろん、ハラジュク側も自分達の特色を活かしたいなどはあっただろうが)そういった点からシブヤとハラジュクの分離は行われたと考えられる。(美々兎達は1回シブヤの偉い人ぶん殴っても文句言われないと思うよ)

一年前:「たま」がいないアザブ、「海月、ルキア」がいないシブヤ

一年前の大会に欠けていたモノ

 アザブ編第2話において煌と銀華が「今のアザブがシブヤに勝てるのか?」という話がなされている。この際、「あの時のシブヤ」が何時の時のシブヤなのかが明言されてはいない。しかし、その前の「去年よりもずっと上手く・・・(省略)」という発言から一年前の大会であると考えられる。そして、一年前といえば火凛が全タテして勝った大会がある事がシブヤ編で示されていることから、この一年前の大会にてアザブとシブヤは戦っていたのではないかと考えられる。

 その上で銀華が言った「いまのアザブであの時のシブヤに勝てると思う?」という発言を考えると非常に興味深い事が分かる。一年前の大会において中学生であるルキアはおろか海月ですらいないチームでありながら、たまがいる今のアザブでも太刀打ちできないレベル差があるという事だ。

 しかし、絶対に勝てないのかというとそうではない。その根拠となるのがドラマCDによって示された火凛のたまへの評価だ。たまは零奈に近いタイプであり、大きな伸びしろを持っている事が示されている。ここで重要になる一年前にはなかった要素とは「不確定性」であると私は考える。

「不確定性」と成長

 勝負の世界に「絶対」は存在しないという言葉があるように、物事は「不確定性」を常に有している。それは電音部(STACKバトル)でも同じである事はアザブ編の「アキバVSアザブ」におけるアキバの立ち位置が物語っている。格上との戦いにおいてアキバがアザブを倒す事ができたのはアザブが勝負を捨てたからではない。そこには不確定な要素が幾つもあったからだ。銀華が自由であっていいと示さなければ和音は勝てなかっただろうし、ふたばが狂戦士モードに入っていたら、煌は勝てなかったのかもしれない。ましてや、たまと零奈のバトルは僅差であった事からも「不確定さ」を持った試合であった。

 少し、話を脱線するが、創作コミュニティSCP財団において「SCP-CN-2000」というオブジェクトがある。詳しい内容は内容はネタバレとなる&本編とは関係ない為省略するが、このオブジェクトには「人類の成長とは不確定性からもたらされる」という重要なテーマが存在する。電音部においてもアザブ編において大人達に与えられた方向性に逆らう事でアザブが成長したように、また零奈と火凛が「どちらが勝つか分からない」最後のバトルにてお互いのベストを塗り替えたように、「不確定性」と成長が紐付いているのではないかと私は考える。

ノベル本編開始~:時空のゆがみ ~零奈、海月をシブヤの子呼び問題について~

 さて、一番の謎(?)とも言うべき問題が本編の時間での出来事に一つある。それが「零奈、海月をシブヤの子と読んだ事件」である。

youtu.be(正直、これが一番の時空の歪みだと思われるが)ノベルを読んだ方なら分かると思うが、零奈と海月の出会いは本編内にて行われており、なおかつ、一目見ただけで零奈は海月を実の姉であると見破っている。これは先ほど挙げた前提条件を完全に無視した話であり、更にはノベルとの違いを持っているのである。(単純にノベル前の作品ゆえの事故である。正直、開始初期の設定違いパターンなのでこれ以上は深く突っ込まない事にする。)

ノベル本編終了後:ドラマCDの二人

 ドラマCDにて火凛が父親に行けと言われた事、そしてノベル本編にて焔羅が海外で活躍している事からノベル本編後すぐの出来事だったと考えられる。その上で銀華は火凛をあっと言わせると心に誓う訳なのだが、銀華の誕生日の4コマにてドラマCDの二人での物語が描かれている。

この話において、火凛が置いてきた「シブヤなりの祝い方」とは何なのだろうか。そして、銀華の本気がどれほど凄いのか、今後の展開が楽しみとなっていく。

おわりに

 久しぶりの長文記事になってしまいましたが(約4500字近く)、非常に書いてて楽しい記事でした。自分の中でも電音部の時系列を整理する事ができ、新しい発見もいろいろあったなと思っています。次回についてはちょっと何も考えが浮かんでいませんので、イベントレポートが多くなると思います。もしよければ、その時もご覧ください!では、また今度!