outcry-ongakuの語り場

電音部に関する記事をちょくちょく書いてます!(不定期更新)

【電音部考察】”音楽原作”だからこそできる考察 Let Me Know編

はじめに

 「Mini PARTY」が無事に終わり、大きなイベントとしては10月のLIVEといったところなのだが、またなにやらコラボの動きがありそう…電音部、一体幾つイベントを起こすつもりなんだ!?(ちなみに、「Mini PARTY」のレポートも書いていますので、ぜひ読んでいただけると幸いです…。)

 

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 という訳で今回は「Let Me Know」の考察。絶対的な王者としてのシブヤの存在感を放つ曲の歌詞を味わっていこうと思う。

 

 最強のシブヤが求める「最高」とは

フレーバーテキストを読む

 前回の「twilight」と同様にフレーバーテキストが公開されている為、そちらから紹介する事にする。

 前回の「twilight」と比べると非常に抽象的な内容だが、よくよく読んでいると公開されているシブヤエリア曲「In my world」に繋がる部分が見えていく。「その場にいる全ての観衆を、一瞬にして平伏させる。」は「成り下がるは My puppet 思い通り この世は naked」の部分と対応するし、「リミッターから開放される」は「着飾る為 Armor など壊して」と対応する。この様に、「In my world」と「Let Me Know」はコンポーザーは違えど、対応性を持った楽曲であるという事がわかる。

最強を教える「In my world」、最高を問う「Let Me Know」

 この様な対応性があるという事を示した上で、重要な相違点がある事を挙げる。それは「教える」という部分である。「In my world」では「本当の強さ教えてあげる 誰もが羨む世界は In my head」とシブヤから観客へと向けられたベクトルであるのに対して、「Let Me Know」では「ほかにあるの最高? 教えてLet me know」と観客からのレスポンスを待つ形となっている。この違いを決定付ける要素が「最強」と「最高」であると考える。シブヤエリアの3人は四コマムービーからランキング上位を独占しているという事が分かっている。それは「最強」といって差し支えないだろう。しかし、「Let Me Know」で「最高」を問うというスタンスを見る限り、「最高」は「最強」とは違う価値観があるという事がわかる。

アザブの「至高」との違い

 では、シブヤの「最高」とは何かを考える上で、対比させたいのはアザブエリアの目標である「至高」という概念であろう。一見すると同じ意味に見えるが、アザブエリアは掲げる「至高」には、至高の前に大事な文言がある。それは「高尚にして」という部分だ。アザブが掲げる「至高」とは「上品さを持った上で魅せる」という事が重要になる。対して、シブヤの「Let Me Know」の歌詞にはそういった「上品さ」という言葉とは正反対の内容が載っている。その事を考えると、シブヤの「最高」は「体裁や上品さなどを捨てた一種の無法状態で魅了する」という事に重点が置かれている事が分かる。

シブヤの最強論

 と、今までの内容をまとめてシブヤの最強論をまとめると「音で地位も性格も好き嫌いもあらゆる要素を無視して、誰しもを魅了する存在」という事になる。これは一種の神様のようなものであり、相対的な評価の「最強」を超えた絶対的な存在、「更なる高み」と言い換えることが出来る。だからこそ、まだその段階にないから「観客に問う」スタンスが「Let Me Know(私に教えて)」という事なのだろう。今でも十分最高に近いと思うのですが、それは。

おわりに

 なんとこう濃い曲を連発して出せるのか、電音部のシナリオライターの設定の彫りの深さというモノを感じざるを得ないといった感じだ。ちなみに、個人的にフレーバーテキストの「成功を妬むヘイター」は美々兎の事だと思っています。そうであってくれ(願望)、さて、次の考察はその美々兎がいるハラジュクエリアの新曲になるのかなと思います。ラジオで聞いたけど、本当にKawaii…。また、フレーバーテキストが公開されるのかなと楽しさ半分恐ろしさ半分で楽しみにしております。では、また今度!