outcry-ongakuの語り場

電音部に関する記事をちょくちょく書いてます!(不定期更新)

【電音部考察】キャラクターをDigるシリーズ 犬吠埼紫杏編

はじめに

 書くネタが浮かばねえなあと思っていたのですが、「そういえば、エリア考察を書いた後にキャラ考察を書こうと思ってたけど、ノベルの更新が終わるのを待つまで凍結してたじゃん」と思い出したので、せっかくなら、シリーズものとして出来るだけ全キャラに対して書くことを予定しております。(予定は未定、決定じゃない)

 第1回はハラジュクエリアで謎多き少女、犬吠埼紫杏をノベルなどにある出自の面から楽曲の面(主に歌詞)に繋げていく様な形で考察していこうと思います!

私とワタシと「神の子」と紫色の悪魔と

出自に関する情報その1:「神園神宮」の巫女

 電音部ノベルハラジュク編第1話にて、アキバメンバーの前に紫杏は神園神宮の巫女として現れている。「神園神宮」の「神園」は原宿付近の町名の一つであり、町の北の大部分が「明治神宮」の敷地である「代々木神園町」から来ていると考えられ、ノベルにも登場する「夫婦楠」が明治神宮にもある事から、神園神宮のモティーフとなったのは明治神宮であると捉えて良いだろう。そのままではなくモティーフにした理由としては明治神宮主祭神明治天皇及び皇后様である為と考えられる。(菊タブーは恐ろしい)

 この神園神宮は代々神主を女性が務めており、現在の神主と紫杏は親子関係であるという事がわかっている。(ちなみに、父とは死別している。)

出自に関する情報その2:「神の子」と呼ばれる

 同じくハラジュク編第1話には紫杏を応援する氏子の集団が登場する。彼らは紫杏の事を「姫」と呼び、清純可憐で穢れを知らぬ乙女だからハラジュク商工会総出で守っていると豪語する。紫杏としては応援の仕方に関してはうざったい存在のような感じであるが、同第2話では応援してくれる事自体には感謝しているようで、DJプレイで応えている。

 実は、ノベル上で紫杏を「神の子」と呼ぶ人は出てきていない。全て紫杏の独白(裏垢)の中でのみ、その呼称は登場する。独白の状況から考えるに氏子達ないしは神社の関係者であると見て間違いないだろう。

 また、紫杏が夢の中で神様にあった事が示されている。用意されたレールの上を歩くだけの人生でいいのかという焦燥感に襲われた紫杏の前に現れ「何がしたいのか?」と問うが、紫杏は答えを持ち合わせておらず答えに窮してしまう。そんな中でたまたま美々兎達と出会った事から電音部に入るのだ。

紫杏の呼称と自称に関する謎 ~「紫色の悪魔」と「ワタシ」~

 紫杏は作品内でも有数の呼ばれ方の数が多いキャラクターでもある。その中でも、紫杏とは関連性に謎が多く、現在も情報がない呼称として「紫色の悪魔」が挙げられる。

 エリア曲「悪魔のララバイ」のフレーバーテキストにて、美々兎及び雛の前に紫杏らしき人物が現れ、二度寝や夜更かしを引き起こしたという。しかし、当の本人は早寝早起きという所から謂れのない罪を掛けられた事にキレるという何ともハラジュクらしいほのぼの(?)ストーリーなのだが、この「紫色の悪魔」=紫杏自身との関連性は一切、どこにも存在しない。

 また、紫杏の自称にも「私」のパターンと「ワタシ」のパターンが存在する事が「Eat Sleep Dance」のフレーバーテキストから分かる。

 

この「ワタシ」という自称は紫杏の楽曲内のみに登場し、ノベル内には登場しない。ノベルに登場する自称は独白の中での「私」のみである。そういった点からも、自称呼称それぞれに謎を持っている。

考察:全てを繋げる共通点を考える

前提知識:「神宮」について

 ここで、考察に入る前に一つ整理すべき事柄がある。それは「神宮」という神社の社号の話である。神社には「神社」以外にも「八幡宮」や「大社」などの社号が存在するが、「神宮」は基本的に「天皇、及び祖先に当たる神様(皇祖神)を主祭神とする神社」のみが名乗る暗黙の了解が存在する(*1)。この例に従うなら、紫杏の神社が祭る神は皇祖神と考えて良いだろう。

共通点の模索:「神の子」と「紫色の悪魔」の繋がり ~神話から読み解く~

 紫杏が祭る神が登場するであろう日本神話では西洋のような「善と悪」のような対立関係は存在せず、「悪魔」と呼ばれるような絶対悪な存在は現れない(*2)。この事から「紫色の悪魔」という呼称は性質(今回の場合は夜更かしをさせる及び二度寝させる)を象ったモノであると考えて良いだろう。

 「神の子」という呼ばれ方から主祭神との関連性を考える事ができる。メタ的な目線にはなるが、作品内で「Iris」や「アトロポス」など西洋の女神が名称として使用されている事から、紫杏との関連を考えても主祭神は女神であると考えて良いだろう。

 性質が「悪」に見られる部分があり、女神であり、さらには皇祖神(それに近しい神宮で祭られる神)であるとすると考えられる神が一つ挙げられる。それはイザナミノミコトだ。

関係性の考察:イザナミノミコトと紫杏

 イザナミノミコト(以後、イザナミと略称)といえば、イザナギノミコト(以後、イザナギと略称)と共に国産み・神産みを行った偉大な神であり、同時に死後は黄泉の国の主宰神としてイザナギに1000人の命を奪う事を誓う恐ろしい神でもある。イザナミは多くの神社で祭られる神であるが、特に兵庫県にある伊弉諾(いざなぎ)神宮(*3)にてイザナギと共に祭られている。

 イザナミイザナギと共に夫婦になって国産み・神産みを果たした事から、縁結びの神様として祭られており、実際、伊弉諾神宮では「夫婦大楠」という御神木が存在し、夫婦円満などのご利益があると言い伝えられている(*4)。これは神園神宮の「夫婦楠」との繋がりの一つと考えて良いだろう。

 また、イザナミが支配する「黄泉国」の「ヨミ/ヨモ」は和語であり、「闇」と同源であるという説がある(*5)(*6)。それに加えて、鳥取にある「夜見町」の「夜見」は「黄泉」からの由来とした書物もある。(ただし、「夜見」が「黄泉」の語源になっているというのは古語の音声学としてあり得ない為、これは後年の創作ではないかと推察される(*5)。)

 この「闇」や「夜」などは紫杏の楽曲内でも重要な要素の一つに組み込まれている。「good night baby」や「Eat Sleep Dance」、「悪魔のララバイ」にはタイトルに睡眠に関連する内容が含まれる。睡眠とは「闇夜に行う生理的行為」であるという部分を考えれば、繋がりと見ることができる。また、「悪魔のララバイ」では悪魔が二度寝させる、及び夜更かしさせるが、もし、悪魔が「夜」にしか出てこれないとするなら夜の時間までの朝昼の時間を縮める及び、夜の時間で長く会う(遊ぶ?)事だとするなら、悪魔は寂しがりなのかもしれない。(寂しがりというのは、good night babyの歌詞とも関連が生まれる。)

 イザナミは様々な神の母であることが繋がり、皇祖神として選ばれることになるが、「good night baby」や「悪魔のララバイ」のララバイ(子守歌)からもわかるように紫杏に関する楽曲のタイトルには赤子に向けられた言葉が入っている曲が多いというのもこちらも関係性として挙げられるだろう。

関係性の考察:「死/黄泉」と紫杏

 紫杏個人の楽曲には、「破滅」や「死」に関するイメージを持った歌詞が度々登場する。

 「good night baby」では「バビロン 進むdecomposition」という部分がある。「decomposition」とは分解や腐敗を意味し、バビロンは某英雄王の都市として知られるメソポタミアの古代都市である。バビロンはかつて繁栄を遂げていたが、マケドニア王国の分裂とティアパル王国に奪われた事から衰退し、廃墟と化している(*7)。また、「peace ジョンがいる世界」のジョンはイギリスとアメリカで使われる。「ジョン・ドゥ」及び「ジョン・スミス」の事を指すと考えられる。この二つの人名は日本における「山田太郎」のようなありふれた男性名として使われおり、身元不明の遺体と示すために便宜的に使われたりする。ジョンがいる世界とは身元不明の人がちゃんと存在する世界という事であると推測される。(世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく!)

 「Eat Sleep Dance」では更に直接的な表現となっており、「till the day we die(私たちが死ぬ日まで)」や「結局は滅んでいく世界」などの「死」や「破滅」というテーマ性がより濃く表れている。

 イザナミは「黄泉」を司る神であり、黄泉とは死者の国であるとされている。こういった面からも紫杏とイザナミとの関係性を裏付ける部分になる。

関係性を組み合わせる:それぞれの呼び方をまとめる

 さて、上記の情報を踏まえて、紫杏の呼び名・自称の関連性を考えていく。その際に注意しなくてはいけないのは、ハラジュクには「二面性」があるという点である。下記は初期に公開された犬吠埼紫杏のキーワードである。

この事から、紫杏を表す呼び名も「無口」と「嫉妬」の2方向から考えていく必要がある。ここでノベル内で氏子達が述べた台詞の中に「穢れ」という言葉が出る事に注目したい。「穢れ」という概念はイザナギイザナミの黄泉国での物語の中でも出てくる。イザナミが連れ帰りに来たイザナギに戻れない事を告げる理由として、穢れを持つ黄泉の食べ物を食べてしまった(ヨモツヘグイ)事、また黄泉から逃げ帰ったイザナギは黄泉の「穢れ」を落としている。この事からもイザナミも「死ぬ前の穢れなき国産み・神産みの女神」の側面と「黄泉の主宰神として人々を穢れた黄泉へと誘う女神」側面の二面性を持つことが分かる。そして、その性質を紫杏に当てはめると前者は「神の子」、後者は「紫色の悪魔」になると考える。

 これを踏まえて、もう一度ノベル及び、「Eat Sleep Dance」、「悪魔のララバイ」のフレーバーテキストを読み直すと「私」が出てくるのは現実上の口数が少ない紫杏であったり、自身の思考の中であったりに登場する。それに対して、「ワタシ」は楽曲上、「自身を表現する為に無口ではいられない」場所に登場する。

 以下を表にまとめるとこうなる。

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紫杏の呼び方と在り方

新たな発見:在り方からわかる、紫杏の裏垢とフレーバーテキスト

 以上の事を踏まえると、ノベルやフレーバーテキストでの動きにも説明が付く。

 物語全体において、紫杏が裏垢に恐ろしい罵詈雑言をつぶやくが、それは表にでてこない「ワタシ」が発露している事だ。内容をよく見直せば、リア充や自分の気持ちも息苦しさを知らない氏子達、仲間として楽しそうにやるアキバエリア、金持ちらしさを見せ付けてくるアザブエリア、そして、自分にはないモノを持つ美々兎に向けた見せられない「嫉妬」にも見えてくる。

 そして、その嫉妬は「恵まれた環境」でありながら、ただレールを歩く事に焦燥感を感じる自分自身にも向けられていると考えられる。夢の中に出てきた神様は「神の子」としての自分の別の側面、「悪魔」と思われてもいい程に嫉妬する「ワタシ」なのではないだろうか。

 「Eat Slepp Dance」のフレーバーテキストの中で、「私」は夢の中にいるのかもしれないという。これは神の子として綺麗なものだけを見ている自分から、「穢れたモノ」も居れる現実を表していると考えられる。その上で、どんな綺麗で美しいだけの世界も滅ぶのなら、美しい幻から醜くとも「自分らしい」と言える「ワタシ」を見せようとする紫杏の覚悟にも見える。

 しかし、それは「無口」な自分を否定している訳ではない。ハラジュク編第2話で見られたように、「神の子」としての自分でも「犬吠埼紫杏」と見てくれる事を嫌とは思っていない。

 そういったところからもわかるように、ふたばの今の「わたし」と今のわたしがなろうとする未来の理想に当たる「アタシ」とはまた違う、イザナミの様に「無口」と「嫉妬」の両面によって「犬吠埼紫杏」を形作る存在こそ「私」と「ワタシ」であるのではないだろうか。

おわりに

 今回は実在する神の性質と紫杏を結びつけた考察という事で、様々な事を調べる必要のある熱量が多い記事となりました。(久しぶりに、執筆するのに心が折れそうになったのは秘密)酸欠で頭はCrazyですね。次書く記事については多くは考えていませんが、書くとしたら煌様の記事かたまの記事かなあと思っています。とはいえ、アザブエリアは全体的に情報が少ないんですよね…まあ、がんばって情報をかき集めて書こうと思います!では、また今度!

注釈

*1 神宮 - Wikipedia

*2 邪神 - Wikipedia

*3 伊弉諾神宮 - Wikipedia

*4 https://izanagi-jingu.jp/%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%A4%A7%E6%A5%A0%EF%BC%88%E3%82%81%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%99%EF%BC%89/

*5 黄泉を「ヨミ」と読む根拠について知りたい。『万葉集』等の古典籍では、どのように表音されていますか。 | レファレンス協同データベース

*6 黄泉とは - コトバンク

*7 バビロン - Wikipedia