outcry-ongakuの語り場

電音部に関する記事をちょくちょく書いてます!(不定期更新)

【電音部考察】”音楽原作”だからこそできる考察 神宮前参道學園編

はじめに

 さて、気づいたら三つ目となった電音部考察であるが、このように記事にしてまとめてみると設定の奥深さに気づかされる。シンギュラリティが起きた世界だからこそ、今の常識を当てはめてると見落とす部分があったりする。(その事についても、おいおい記事にしていきたい。)そんな訳で、今回はハラジュクエリアの神宮前参道學園について考察していこうと思う。

 

 ハラジュクエリアの依存心 ~挫折と成長~

楽曲の中に含まれる「君」とはどんな存在か?

 考察に入る前に、エリア毎のパーソナリティについての考察を外神田文芸編で行っている。是非とも、そちらを一読してから以下について読んでもらう事をお勧めする。

outcry-ongaku.hatenadiary.com

さて、上記の記事にて、私はハラジュクのパーソナリティを「依存心」と考えた、その理由についてまとめていきたいと思う。

 まず、5/23現在までに公開されているハラジュクのエリア曲は3曲、「Hyper Bass」、「Future」、そして「シロプスα」の3曲である。

youtu.be

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この3曲はそれぞれのコンポーザーは異なるが、共通して「君」が歌詞に登場する。ただし、どの曲においても「君」が誰かなのかは明確に示されていない。この「君」とはハラジュクにとってどんな存在なのかを考えていこうと思う。

Hyper Bassにおける「君」

 Hyper Bassにおける他者への代名詞は二つ存在する。「君」と「あんた」である。この「あんた」の歌詞の歌い分けが美々兎である点、その直前の歌詞を考えると「君」=「あんた」でいいのだろう。(ちなみに、歌詞の「よかったね、手前で降りなくてあんた つまりええとこれは外回りの場合」というのは山手線の駅の並びの事で、渋谷の次が原宿である。)

https://www.goodcross.com/wp/wp-content/uploads/2019/02/1311820.jpg

「これでもう間違えない! 山手線の内回り外回り」より引用(https://www.goodcross.com/words/16767-2019)

この歌詞における「君」に対してハラジュクは歌詞の中にアナグラムを「魔法の言葉」として送る。「あたしにあかないとこきらい」を「ときあかした」を消して残るのが「ならあいにこい」という事で最後に「解き明かした?なら会いに来い」という事を言外に伝えている。シブヤの音を聞かずにハラジュクに来た「君」をうれしいと思いながらも、言外に「会いに来い」としか伝えられないハラジュクらしさがここにはあるのだ。

Futureにおける「君」

 Futureにおける「君」に対しては明確に「私を忘れちゃダメ」、「私だけを見て」と独占欲を見せていく。「Hyper Bass」で隠す所にハラジュクらしさがあると書いたが、こちらでは逆にそういった部分を見せている。これは矛盾ではないか!と言われてしまうが、FutureとHyper Bassの曲ジャンルを考えてもらうと分かりやすい。FutureはKawaii Future Bass、Hyper BassはTrapという点を考えるとHyper Bassのハラジュクはカッコつけているのではないかと考えられる。(個人曲が3人ともKawaii寄りであるし)また、この歌詞では仲間に対しての気持ちも描かれている。「ワタシたちも大人になっちゃうのかな ならもう少し、ね、手を繋いで」という点からも未来に繋がるものがある。

シロプスαにおける「君」

 こちらの曲でも「Future」同様、明確に「君」に「私だけ見てて」と独占欲を見せていく。ここで「Future」と異なるのは「恋」という要素が加わっている点である。(「恋」や「愛」という要素は電音部世界を考えると深い要素なのだがそれはまたおいおい)今までの楽曲にはない、「君」に対して明確な好意が示されている。この辺りにハラジュクの成長を見る事ができるのだ。

各楽曲を統合した「君」のイメージ

 各楽曲に登場する「君」という存在はハラジュクにとっては「他者」としての要素と、「身内」としての要素を併せ持つ。つまり、「自分達の内側に存在する他者(メンバーなど)と、自分達の外側に存在する他者(観客など)へのメッセージ性が同時に存在する」という特徴がある。それを踏まえてもう一度各曲の歌詞を見直してもらいたい。どちらのメッセージでも受け取れる曲となっている事がわかる。

依存から信頼へ

 神宮前参道學園はシブヤの姉妹校であり、シブヤ落ちした子の受け皿である屈辱という点は四コマなどの各所に散見される。もちろん、それは楽曲の中にもだ。そういった挫折の中で卑屈になったり、何かに縋ろうとする気持ちが生まれるのは当然である。それを示すようにキャラクターのパーソナリティにも反映されている。

 美々兎の依存心は「理想の自分」に依拠する。個人曲では現実の弱い自分を隠すように強がる美々兎の葛藤や独占欲などが描かれているが、彼女はただわがままで目立ちたがりを演じている訳ではないと考える。メンバーを引っ張るリーダーとしての責務も彼女の「理想の自分」には含まれているのではないだろうか。

 雛の依存心は「自分を引っ張ってくれるメンバー」に依拠すると考えられる。自分を新しい世界へと(強引に)連れ出してくれた美々兎や紫杏があって今の雛が存在している。だからこそ、自分は振り回され可愛そうだといってもやる事はこなすのはそういった事への感謝なのではないか。

 紫杏の依存心は「居場所」に依拠すると考えられる。個人曲における帰る場所こそ、電音部であり、そこを守りたいなど(他エリアと比べて)本音で語れない事への嫉妬という気持ちが裏垢での陰口に繋がっているのではないだろうか。

このように、彼女らは自分が持っている弱い部分を隠したり、ごまかしながら、メンバーとの仲についてもドライな雰囲気を醸し出している。しかし、上記の「君」の考察にあるように彼女らは直接ではなく楽曲という間接的な部分で感謝を伝えたり、好意をぶつけたりしている。「依存」と「信頼」は表裏一体である。だからこそ、彼女らは決して成長しないなんて事はなく、目標に向かって一丸となって進めるポテンシャルを持っているのではないだろうか。

おわりに 電音部が描きたいモノとは

 ハラジュクなどについての考察を進めていくに当たって、電音部が描きたいモノとは何なのかが輪郭を見せてきている。それは「忘れてはいけない楽しいというスピリット」という部分であろう。科学技術の進歩や昨今の情勢からも「仲間との楽しさや感動の共有」という事は少なくなりつつある。そういった中でフロアという空間で楽しさや感動を共有するDJというコンテンツを選んだ事、曲にキャラクター性を付加する事でおのおのが物語を語る事が出来るようにした事などは決して偶然ではないと私は思う。そういった熱意あるコンテンツの成長を感じながら応援できる事には感謝と、更なる発展を期待しつつ、今後も(駄文ではあるが)考察していきたいと思う。次はアザブ編の前に、番外編を書こうと思う。是非ともお楽しみに。

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