outcry-ongakuの語り場

電音部に関する記事をちょくちょく書いてます!(不定期更新)

【電音部考察】”音楽原作”だからこそできる考察 港白金女学院編

はじめに

 リリースイベントを視聴していたのですが、二時間があっという間に過ぎてしまう程楽しいイベントでした。堀越せなさんがD4DJの曲をかけたり、秋奈さんが踊ったり、長谷川玲奈さんがkawaiiで殴ってきたり、蔀祐佳さんが圧巻のフィナーレで締めくくったりと個別に記事書いてもいいレベルで濃密な時間でした。(その後の電音部ラジオで知ったんですが、蔀さんってまだ未成年だったんだと知り、驚いたりもした)どうしても、DJというモノは権利の関係上、アーカイブにするのは難しいと思われるので「気になるよ~」という方は公式Twitterをフォローするのをお勧めいたします。では、今回はアザブエリアについて考察していきます。

 

 アザブエリアの孤独 ~至高ゆえの孤独~

考察材料が少ないエリア アザブエリア

 電音部の考察をするに当たって、一番考察するのが難しいエリアはどこかと言われたら、このアザブを私は挙げさせていただく。アキバはMOOK本のお陰で解像度が高く、ハラジュクは楽曲数の多さから、シブヤは王者ゆえに~という部分が多い為、エリアで考察する事は簡単である。(ただし、個人となると情報不足であるが)しかし、アザブはそういった考察の取っ掛かりがほとんどない。

 まず、「メンバー構成の歪さ」が存在する。基本的にスリーマンセルの電音部にはセンターと呼ばれる人物がいる。アキバは零奈、ハラジュクは美々兎、シブヤは火凛、そしてアザブはたまだ。このセンターになる人物は「リーダーとして仲間を引っ張る役割」を担うか「DJの技術で仲間を引っ張る役割」を担うかの二つで分かれている。公式の説明文とMOOK本、コミックムービーなどを見る限り、零奈と美々兎は前者、火凛とたまは後者である事が予想される。しかし、コミックムービーアザブ編の第5話にて煌と銀華との会話において気になる部分が二つ存在する。

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ここにおいて銀華は「銀華は煌がDJをはじめるきっかけ(電音部設立前より銀華はプレイヤー)であった」という点と、「銀華の親もDJ」という点だ。この事からもわかるように銀華はDJのサラブレッドと言ってもいい程、優れたプレイヤーである事が分かる。(だから、声が澁谷梓希さんなのか・・・)しかしながら、たまの説明には白金電音部で群を抜いて実力は本物であると記載されている。この事からもたま>銀華である事になる。この六本木から来た猫はどこでその様な技術を手に入れたのか、そして、何故銀華がセンターを張らず、白金電音部にいるかなど謎は尽きない。(この辺り、6/30発売の電音部ベストアルバム特装版に付属するボイスドラマである程度の説明があるかも知れないので電音部考察民は買うべし、筆者は予約受付日のその日に予約しました。)

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 次に「それぞれの出自の謎」がある点である。これは他エリアにもあるのだが、アザブエリアは「情報が開示されているのに、その全体像が把握できない」という特徴を持つ。白金家が成長した時期については謎であるし、何故、白金家と同じ名家な灰島家との繋がりも謎、その灰島家が何故(少なくとも)二代渡ってDJをしているかも謎であるし、たまに至っては出自すら明確な情報がない。何なんだこのエリアは!!!と言いたくなる気持ちは押さえつつ、では、どの様に考察していけばよいのかとなれば楽曲から考察していく必要があるだろう。

恋と愛の違い

 前回、電音部世界についての愛や恋は今の形とは異なるのでは?という考察を述べたのでそちらも読んでいただけると幸いである。

 

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 今回のアザブのエリア曲「Where Is The Love」は失恋ソングといってもいい、電音部としては珍しいビターテイスト全開の楽曲である。

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上述の記事にあるように「現在の価値観とは違う愛の価値観」が存在する為、ここにおける「君」は男性に限らない、「愛しい存在」という認識の方が正しいだろう。この曲においてのメインテーマは「愛になりきれなかった恋」というものであると考えられる。「恋と愛は似て非なるモノ」と言われる様に「相手に対しての一方的な感情」である「恋」と、「相手と相互に築く感情」である「愛」は異なる。だからこそ、相互の繋がりである「愛」を繋がりのない自分の中から探す事は出来ないし、一方的な感情である恋のように第三者から見る事もできない。だからこそ、永遠に彷徨う事になってしまうという何とも儚い曲であるが、これは「愛」に恋焦がれるアザブエリアのメンバーの心境の現れとも捉える事ができる。

それぞれの孤独心

 上記を踏まえて、アザブエリアのメンバーが持つ「孤独」について考察した。

 たまが持つ孤独は「家族という存在の欠如」であると考えられる。この辺りは個人曲「いただきバベル」にも現れているが、「スキルによって獲得する地位やカネ」というモノは「一人でそこで生きる」為に必要なモノである。しかし、それは裏返せば「帰る事ができる場所」が存在しないという事になる。この事からも、たまにとってアザブのメンバーは家族同然であり、しかし、まだ「家族」そのものではないなのかもしれない。

 煌が持つ孤独は「親友という存在の欠如」であると考えられる。公式の説明にあるように煌は「カネによって繋がる関係」ではない関係性というモノに恋焦がれている。アザブメンバーは確かに仲間であるが、たまとは主人と従者の関係であり、銀華とは銀華自身は名家としての付き合いだと思っているのではという疑念が煌の中にはあるのかもしれない。

 銀華が持つ孤独は「秘密を打ち明けられる存在の欠如」であると考えられる。個人曲である「Haiiro no kokoro」や「KOI WAZURAI short.Ver」において「本当の私」を打ち明けられない銀華の心情が描かれている。その事からも、アザブメンバーに「本当の私」を見せたくても、打ち明ける為に必要な鍵が足りていないのかもしれない。

 この様にアザブエリアは一見するとある種の達観したモノを持っているように見せながらも、「それぞれが不足感を抱きながら、まだそれを埋めるモノがどこにあるのかがわからない」という非常に思春期らしい悩みを抱いたエリアであるという事が分かる。そういう意味では一番女子高生らしさがあるエリアなのかもしれない。

おわりに

 アザブエリアの考察を考えていく中で、キャラの設定やそれを求めた形に仕上げるコンポーザーの凄さを感じてしまう。そして、それを紐解いていく事を楽しみとして提供する事を考えたプロデューサー含む制作陣の意匠には感服する。端くれで妄想ベースの考察を上げているが、まだまだ奥がある事に楽しみと好奇心をそそられる。是非とも、この「電音部」の世界の奥深さに触れるきっかけになれれば幸いである。次はシブヤ編を書こうと思う。その後についてはどうしようか悩み中である。本当は個人キャラについて書きたいのだが、40週リリースで揃う情報を見てから書きたい・・・という欲求もあるので、もしかすると備忘録的な形の記事になるかもという所で今回は。

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